芹生の歴史

芹生の歴史

芹生の里が歴史に登場するのは, 大よそ平安時代中期からです

日本の代表的な歌道の宗匠として永く仰がれてきた藤原定家が 「世をいとうかどではしたり大原や 芹生の里の草のいほりに」と詩っています。 その後、西行法師、慈鏡和尚、李通などの著名な歌人が、山深い里ながら芹生の里の持つ独特な立地条件、気候、風物から醸し出される独特な雰囲気と魅力を、優れた和歌として伝えています。
売上促進活動
延享3年(1746年8月)、大坂竹本座初演「菅原伝授手習鑑」は芹生の里を舞台に作られた歌舞伎狂言であり、 中でも「寺子屋の段」は当時では8か月のロングランを記録しました。 現在では日本三大歌舞伎の一つに選ばれ、ことに「寺子屋の段」は「義経千本桜」、「仮名手本忠臣蔵」などと共に東京・歌舞伎座、京都・南座の当たり歌舞伎狂言として、大いに上演されています。